2019年12月14日00:32

宇都宮市街の餃子屋さんにて
「四暗刻単騎レベルの偶然」
なかなかリアルな表現だと勝手に思ってます。
天和や地和、九蓮宝燈といった普通ではあり得ない様な神引きでは無いまあまあの奇跡。
実際の確率論的にはどうなんでしょうね?
色んな人とFB交換すると、お互い共通の知り合いが居る人とたまたま出会うって何となーくいずれは来ると思うのですが。
2019/12/05
6:30
おはようございます。
最近寒い朝が続きますね。

今日の朝ごはん
古河宿ばいばい

8:30
知らん間に栃木県に入ってた!!

野木宿道標

拾. 野木宿
古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。
隣接する宿場と比較すると規模が小さく、古河宿・間々田宿・小山宿に宿泊客は流れがちであった。
10:00
小山市突入!

間々田宿本陣跡

ままま

つぎに來たるは古河間々田 兩手ひろげて我が汽車を
萬歳と呼ぶ子供あり おもへば今日は日曜か
(鉄道唱歌/奥州・磐城篇)
この歌詞好き
「こがままだ」の語幹の良さよ
拾壱. 間々田宿
間々田宿西方の思川に設けられていた乙女河岸は、大型の高瀬舟が接岸できる上流端であり、日光東照宮造営の際には、御用河岸に指定されたため多くの資材が船で運ばれてきた。
12:30
小山市中心街
この辺りが宿場ですね。


「小山市まちの駅 思季彩館」にお邪魔
観光案内チックな建物かと思って入ると、お土産や定食を出しているお店なのでお昼に

写真から分かる通り、ご飯の量パないです!!!
でも完食!

ご馳走さまでした。コーヒーもサービスで頂いた♪
余談ですがご飯を待っている間、店のスタッフやお客が皆私の旅に興味を持ってくれたらしく、軽くギャラリーみたくなっていました(笑) コンナノハジメテダ…
そして隣のおじさん
何とFBで共通の知り合いがいました!
旅をしているといずれは来る瞬間かも知れませんが本当に来るとは!!
夕飯の餃子(サムネ)は彼が後にツケてくれるそうです。
ご馳走さまでした。本当に美味かったです!!
中庭もししおどしと風流です。

拾弐. 小山宿
現在の栃木県小山市の中心部に位置していたとされる小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光街道(日光道中)、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所であった。
14:30
新田宿

こちらの常夜灯を作成したのも先ほどのおじさんのお知り合いだそう。いや〜本当世間は狭い。

拾参. 新田宿
新田宿の宿駅としての起源はよく分かっていない。別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。
15:00
下野市に入る

小金井一里塚

一里塚の位置が少しずれていますね。
一里塚間の細道は途中で途切れてました。
本陣

彼方に日光の山が見えます。

ガラス張りの立派な市役所。

日がだいぶ傾いてますね〜

拾四. 小金井宿
「小金井」という地名は、近くに小金井と呼ばれた湧水の池があり、「旱魃のときにも枯れることがなかった、池の中から黄金が出てきた」という伝承に由来する。この井から「金井村」という村名が生じ、のちに「小金井村」となった。
18:00
石橋宿本陣跡

すっかり真っ暗

拾伍. 石橋宿
石橋宿は江戸時代の下野国都賀郡にあった宿場町である。
宿役はこの宿の旧家で元多功城城主多功宗朝に仕え、後この地に土着し農民となったと言われる名主伊沢近江守、問屋伊沢出雲守、本陣伊沢越前守の各家が代々交代で勤めた。
19:00
宇都宮入り(また知らん間に…)

雀宮宿仮本陣

江戸より25里

拾六. 雀宮宿
雀宮宿は、もともと下横田村の台地部にある村落であったことから台横田村と呼ばれ、奥州古道の時代にはその中心地は雀宮宿の東方にあった。
後の江戸時代に日光街道が整備されたことにより沿道に人家が集まり宿を成し、近所にあった雀宮神社に因んで雀宮宿と改称された。
20:00
流石は県庁所在地


私を幻惑してくる…
もう少し…

日光街道と奥州街道の分岐点宇都宮宿

宇都宮市街

拾七. 宇都宮宿
宇都宮宿は宇都宮城の城下町にあり、日光・奥州両街道の追分であったほか、国内各地を結ぶ主要道路が通る交通の要衝で、日光街道で最も賑わった宿場町と云われている。
本日の
歩行距離:50.69km
累計:118.19km
歩数:77,063歩
累計:187,950歩


其ノ壱. 日本橋-越ヶ谷宿編はコチラ
其ノ弐. 越ヶ谷宿-古河宿編はコチラ
其ノ参. 古河宿-宇都宮宿編はコチラ
其ノ四. 宇都宮宿-喜連川宿編はコチラ
其ノ伍. 喜連川宿-大田原宿編はコチラ
其ノ六. 大田原宿-白河宿編はコチラ
東海道編はコチラ
中山道編はコチラ
駆け出しバックパッカー編はコチラ
青二才バックパッカー編はコチラ
其ノ参 古河宿〜宇都宮宿 『四暗刻単騎レベルの偶然』 〜令和版プチ奥の細道〜≫
カテゴリー

宇都宮市街の餃子屋さんにて
「四暗刻単騎レベルの偶然」
なかなかリアルな表現だと勝手に思ってます。
天和や地和、九蓮宝燈といった普通ではあり得ない様な神引きでは無いまあまあの奇跡。
実際の確率論的にはどうなんでしょうね?
色んな人とFB交換すると、お互い共通の知り合いが居る人とたまたま出会うって何となーくいずれは来ると思うのですが。
2019/12/05
6:30
おはようございます。
最近寒い朝が続きますね。

今日の朝ごはん
古河宿ばいばい

8:30
知らん間に栃木県に入ってた!!

野木宿道標

拾. 野木宿
古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。
隣接する宿場と比較すると規模が小さく、古河宿・間々田宿・小山宿に宿泊客は流れがちであった。
10:00
小山市突入!

間々田宿本陣跡

ままま

つぎに來たるは古河間々田 兩手ひろげて我が汽車を
萬歳と呼ぶ子供あり おもへば今日は日曜か
(鉄道唱歌/奥州・磐城篇)
この歌詞好き
「こがままだ」の語幹の良さよ
拾壱. 間々田宿
間々田宿西方の思川に設けられていた乙女河岸は、大型の高瀬舟が接岸できる上流端であり、日光東照宮造営の際には、御用河岸に指定されたため多くの資材が船で運ばれてきた。
12:30
小山市中心街
この辺りが宿場ですね。


「小山市まちの駅 思季彩館」にお邪魔
観光案内チックな建物かと思って入ると、お土産や定食を出しているお店なのでお昼に

写真から分かる通り、ご飯の量パないです!!!
でも完食!

ご馳走さまでした。コーヒーもサービスで頂いた♪
余談ですがご飯を待っている間、店のスタッフやお客が皆私の旅に興味を持ってくれたらしく、軽くギャラリーみたくなっていました(笑) コンナノハジメテダ…
そして隣のおじさん
何とFBで共通の知り合いがいました!
旅をしているといずれは来る瞬間かも知れませんが本当に来るとは!!
夕飯の餃子(サムネ)は彼が後にツケてくれるそうです。
ご馳走さまでした。本当に美味かったです!!
中庭もししおどしと風流です。

拾弐. 小山宿
現在の栃木県小山市の中心部に位置していたとされる小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光街道(日光道中)、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所であった。
14:30
新田宿

こちらの常夜灯を作成したのも先ほどのおじさんのお知り合いだそう。いや〜本当世間は狭い。

拾参. 新田宿
新田宿の宿駅としての起源はよく分かっていない。別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。
15:00
下野市に入る

小金井一里塚

一里塚の位置が少しずれていますね。
一里塚間の細道は途中で途切れてました。
本陣

彼方に日光の山が見えます。

ガラス張りの立派な市役所。

日がだいぶ傾いてますね〜

拾四. 小金井宿
「小金井」という地名は、近くに小金井と呼ばれた湧水の池があり、「旱魃のときにも枯れることがなかった、池の中から黄金が出てきた」という伝承に由来する。この井から「金井村」という村名が生じ、のちに「小金井村」となった。
18:00
石橋宿本陣跡

すっかり真っ暗

拾伍. 石橋宿
石橋宿は江戸時代の下野国都賀郡にあった宿場町である。
宿役はこの宿の旧家で元多功城城主多功宗朝に仕え、後この地に土着し農民となったと言われる名主伊沢近江守、問屋伊沢出雲守、本陣伊沢越前守の各家が代々交代で勤めた。
19:00
宇都宮入り(また知らん間に…)

雀宮宿仮本陣

江戸より25里

拾六. 雀宮宿
雀宮宿は、もともと下横田村の台地部にある村落であったことから台横田村と呼ばれ、奥州古道の時代にはその中心地は雀宮宿の東方にあった。
後の江戸時代に日光街道が整備されたことにより沿道に人家が集まり宿を成し、近所にあった雀宮神社に因んで雀宮宿と改称された。
20:00
流石は県庁所在地


私を幻惑してくる…
もう少し…

日光街道と奥州街道の分岐点宇都宮宿

宇都宮市街

拾七. 宇都宮宿
宇都宮宿は宇都宮城の城下町にあり、日光・奥州両街道の追分であったほか、国内各地を結ぶ主要道路が通る交通の要衝で、日光街道で最も賑わった宿場町と云われている。
本日の
歩行距離:50.69km
累計:118.19km
歩数:77,063歩
累計:187,950歩


其ノ壱. 日本橋-越ヶ谷宿編はコチラ
其ノ弐. 越ヶ谷宿-古河宿編はコチラ
其ノ参. 古河宿-宇都宮宿編はコチラ
其ノ四. 宇都宮宿-喜連川宿編はコチラ
其ノ伍. 喜連川宿-大田原宿編はコチラ
其ノ六. 大田原宿-白河宿編はコチラ
東海道編はコチラ
中山道編はコチラ
駆け出しバックパッカー編はコチラ
青二才バックパッカー編はコチラ