2019年12月16日08:27

京の三条大橋から始まり、瀬田の唐橋とコークハイ、草津の追分、関ヶ原古戦場、東濃の栗おこわ、木曽の紅葉や名所名物、諏訪の絶景と温泉、和田峠の川の水、信州の蕎麦とりんご、軽井沢の街並み、碓氷峠とアプト式鉄道、磯部温泉、高崎ダルマ、深谷ねぎ、そして日本橋へ
さらに浅草で少し休んで再び日本橋より、草加せんべいと松並木、利根川からの富士の眺め、小山での偶然の出会い、宇都宮餃子、那須の温泉と
歩きながら各地で築き上げたたくさんの思い出を引っ提げて中山道・奥州街道の歩き旅に終止符を打ちに行きます。いざ!
2019/12/09
7:00
民宿で朝ごはんを腹一杯食べて出発!(写真撮り忘れた…)

エネルギー注入

9:00
那須塩原市に入ります。

鍋掛一里塚

間食

じゃがりこがポテトサラダになった味。以上!
10:30
鍋掛宿


野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす

その昔行なわれた那須野の狩を想い起こし「私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか」という心境で詠んだものである。
宇都宮から各宿場の距離が事細かに記してあります。

那珂川を越えます。

弐拾参. 鍋掛宿
鍋掛宿は奥州道中の難所那珂川を控え、対岸の堀越と2宿で1宿の機能を果たしていた。
鍋掛の名の由来は、那珂川の川留めにより旅人が溢れ、宿住民が総出で鍋を出し、炊き出しを行なったからで、川留めになると大いに賑わった。
11:00
川を越えるとすぐ越堀宿に入ります。


残り七里

山道に入ります。


寺子一里塚

弁慶の足踏み石

弐拾四. 越堀宿
那珂川を挟んで、鍋掛宿とニ宿で一宿の役割を果たした。
12:00
那須町に入ります。

夫婦石

立て札がパックリ割れていて縁起が良くないのでは?

麓の集落が見えます。

芦野宿


何となく昔の宿場の面影あります。
13:00
バス停のベンチでお昼にします。
昨日、焼き鳥の主人から頂いたおむすびと宿場で買った聖天まんじゅうを。

おじいちゃんが「寒いからウチで食え」と中に入れてくれてお茶とお菓子まで頂きました!

少し耳は遠かったけど、彼も街道には詳しく話しが弾みました!ありがとう。
武家屋敷

遊行柳


「奥の細道」で松尾芭蕉も一句詠んだとか。
しかし、季節柄少々寂しい柳の状態となっています。
約2時間何もない道が続きます。



変わった形の植木が並びます。

一里塚

「ようこそ〜」ということは県境もすぐそこか⁈

弐拾伍. 芦野宿
芦野宿は、下野最北の宿場で大変賑わっていた。現在も往時を偲ばせる場所が数多く残っている。
16:00
陸奥国福島県白河市!!

長かった栃木県をやっと抜けました!
関所跡


秋風吹くと詠じたる 關所の跡は此のところ
會津の兵を官軍の 討ちし維新の古戰場
(鉄道唱歌/奥州・磐城篇)
白坂宿


残り二里弱
日が傾いています。

弐拾六. 白坂宿
小田原攻めの勝利を確信した豊臣秀吉が伊達政宗に小田原から会津の街道整備を命じた際に、芦野と白河間が長すぎるということで宿駅となったのが白坂宿の起こりである。「雨が降っても傘いらず」といわれる程軒を連ねており、旅籠も多かった。
17:00
ちょっと温まっている間に

辺りは真っ暗

白河市街はかつての小峰城下町です。




脇本陣
時間が遅すぎたが、日中は見学出来るみたい。

奥州道中終点・女石追分

白河駅


ここで野宿するか阿武隈PAでヒッチハイクするかの二択に迫られるも…

うん、これはPAですね
旅の締に白河蕎麦を食べます。


弐拾七. 白河宿
奥州の玄関口に位置する白河藩は、伊達など、奥州の外様大名に対する備えとされていたため、丹羽氏以降は親藩・譜代大名が藩主を務め、240年の間に丹羽氏を含め7家21代の大名が治めている。
戊辰戦争では奥州諸藩の拠点となり、会津、仙台、棚倉、二本松等の兵が薩摩、長州、大垣等の西軍と戦うが、数日の激戦の後落城、城は兵火にかかって焼失してしまう。 このように、白河宿は幕府の道中奉行が管轄する奥州街道の終着地であるが、老中・松平定信の居城であった小峰城の城下町としても発展し賑わった宿場であった。
21:00
ちょっと歩き、PAに着く。

ヒッチハイクしようと思いましたが、やっぱ疲れているので寝ます。
眠れそうな所があって本当良かった!!

そして翌朝、、

いざ、友の待つ浜松へ!!
という訳で今回の歩き旅は無事に閉幕を迎えました!

本日の歩行距離:43.59km
累計:215.49km
歩数:72,617歩
累計:349,715歩
使ったお金:18,955円


中山道との合算
日数:23日(うち2日は休養)
歩行距離:789.81km
歩数:1,245,597歩
使ったお金:60,303円(初期投資除く)
其ノ壱. 日本橋-越ヶ谷宿編はコチラ
其ノ弐. 越ヶ谷宿-古河宿編はコチラ
其ノ参. 古河宿-宇都宮宿編はコチラ
其ノ四. 宇都宮宿-喜連川宿編はコチラ
其ノ伍. 喜連川宿-大田原宿編はコチラ
其ノ六. 大田原宿-白河宿編はコチラ
東海道編はコチラ
中山道編はコチラ
駆け出しバックパッカー編はコチラ
青二才バックパッカー編はコチラ
其ノ六. 大田原宿〜白河宿 『本当の本当に歩き旅はこれで終わり』 〜令和版プチ奥の細道〜≫
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京の三条大橋から始まり、瀬田の唐橋とコークハイ、草津の追分、関ヶ原古戦場、東濃の栗おこわ、木曽の紅葉や名所名物、諏訪の絶景と温泉、和田峠の川の水、信州の蕎麦とりんご、軽井沢の街並み、碓氷峠とアプト式鉄道、磯部温泉、高崎ダルマ、深谷ねぎ、そして日本橋へ
さらに浅草で少し休んで再び日本橋より、草加せんべいと松並木、利根川からの富士の眺め、小山での偶然の出会い、宇都宮餃子、那須の温泉と
歩きながら各地で築き上げたたくさんの思い出を引っ提げて中山道・奥州街道の歩き旅に終止符を打ちに行きます。いざ!
2019/12/09
7:00
民宿で朝ごはんを腹一杯食べて出発!(写真撮り忘れた…)

エネルギー注入

9:00
那須塩原市に入ります。

鍋掛一里塚

間食

じゃがりこがポテトサラダになった味。以上!
10:30
鍋掛宿


野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす

その昔行なわれた那須野の狩を想い起こし「私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか」という心境で詠んだものである。
宇都宮から各宿場の距離が事細かに記してあります。

那珂川を越えます。

弐拾参. 鍋掛宿
鍋掛宿は奥州道中の難所那珂川を控え、対岸の堀越と2宿で1宿の機能を果たしていた。
鍋掛の名の由来は、那珂川の川留めにより旅人が溢れ、宿住民が総出で鍋を出し、炊き出しを行なったからで、川留めになると大いに賑わった。
11:00
川を越えるとすぐ越堀宿に入ります。


残り七里

山道に入ります。


寺子一里塚

弁慶の足踏み石

弐拾四. 越堀宿
那珂川を挟んで、鍋掛宿とニ宿で一宿の役割を果たした。
12:00
那須町に入ります。

夫婦石

立て札がパックリ割れていて縁起が良くないのでは?

麓の集落が見えます。

芦野宿


何となく昔の宿場の面影あります。
13:00
バス停のベンチでお昼にします。
昨日、焼き鳥の主人から頂いたおむすびと宿場で買った聖天まんじゅうを。

おじいちゃんが「寒いからウチで食え」と中に入れてくれてお茶とお菓子まで頂きました!

少し耳は遠かったけど、彼も街道には詳しく話しが弾みました!ありがとう。
武家屋敷

遊行柳


「奥の細道」で松尾芭蕉も一句詠んだとか。
しかし、季節柄少々寂しい柳の状態となっています。
約2時間何もない道が続きます。



変わった形の植木が並びます。

一里塚

「ようこそ〜」ということは県境もすぐそこか⁈

弐拾伍. 芦野宿
芦野宿は、下野最北の宿場で大変賑わっていた。現在も往時を偲ばせる場所が数多く残っている。
16:00
陸奥国福島県白河市!!

長かった栃木県をやっと抜けました!
関所跡


秋風吹くと詠じたる 關所の跡は此のところ
會津の兵を官軍の 討ちし維新の古戰場
(鉄道唱歌/奥州・磐城篇)
白坂宿


残り二里弱
日が傾いています。

弐拾六. 白坂宿
小田原攻めの勝利を確信した豊臣秀吉が伊達政宗に小田原から会津の街道整備を命じた際に、芦野と白河間が長すぎるということで宿駅となったのが白坂宿の起こりである。「雨が降っても傘いらず」といわれる程軒を連ねており、旅籠も多かった。
17:00
ちょっと温まっている間に

辺りは真っ暗

白河市街はかつての小峰城下町です。




脇本陣
時間が遅すぎたが、日中は見学出来るみたい。

奥州道中終点・女石追分

白河駅


ここで野宿するか阿武隈PAでヒッチハイクするかの二択に迫られるも…

うん、これはPAですね
旅の締に白河蕎麦を食べます。


弐拾七. 白河宿
奥州の玄関口に位置する白河藩は、伊達など、奥州の外様大名に対する備えとされていたため、丹羽氏以降は親藩・譜代大名が藩主を務め、240年の間に丹羽氏を含め7家21代の大名が治めている。
戊辰戦争では奥州諸藩の拠点となり、会津、仙台、棚倉、二本松等の兵が薩摩、長州、大垣等の西軍と戦うが、数日の激戦の後落城、城は兵火にかかって焼失してしまう。 このように、白河宿は幕府の道中奉行が管轄する奥州街道の終着地であるが、老中・松平定信の居城であった小峰城の城下町としても発展し賑わった宿場であった。
21:00
ちょっと歩き、PAに着く。

ヒッチハイクしようと思いましたが、やっぱ疲れているので寝ます。
眠れそうな所があって本当良かった!!

そして翌朝、、

いざ、友の待つ浜松へ!!
という訳で今回の歩き旅は無事に閉幕を迎えました!

本日の歩行距離:43.59km
累計:215.49km
歩数:72,617歩
累計:349,715歩
使ったお金:18,955円


中山道との合算
日数:23日(うち2日は休養)
歩行距離:789.81km
歩数:1,245,597歩
使ったお金:60,303円(初期投資除く)
其ノ壱. 日本橋-越ヶ谷宿編はコチラ
其ノ弐. 越ヶ谷宿-古河宿編はコチラ
其ノ参. 古河宿-宇都宮宿編はコチラ
其ノ四. 宇都宮宿-喜連川宿編はコチラ
其ノ伍. 喜連川宿-大田原宿編はコチラ
其ノ六. 大田原宿-白河宿編はコチラ
東海道編はコチラ
中山道編はコチラ
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