2019年07月20日10:11
#7 由比宿-府中宿 あたしゃ感動したよ 〜令和版東海道中膝栗毛〜≫
カテゴリー
あっしゃあ、お江戸日本橋からありぃてめえりやした、ただのしがねえ旅人でよぉ。
ノリの良さそうな若者が話しかけてきたら、こんな感じの江戸神田口調で応答してみたいと密かに企んでいます、mizukiです。
AM10:00

昨日、ログハウスに泊めて頂いた石川さんと記念撮影し、見送って頂きました。

朝ごはんも頂きました。ご馳走さまです。そして、ありがとうございました!

由比を後にし、興津を目指し、薩埵峠を登る。





一里塚




何があったんだろう その①
登ること30分、ようやく頂上へ到達

感動の様子をビデオでお届け、、
ここで一句
絶景や
富士は見えねど
夏麗
頂上で石川さんから頂いた甘夏ジュースキュっと飲み干し、峠を下る。

AM11:30

興津の川を渡る際、おじいちゃんチャリダーからエールを頂きました。

興津といえば興津鯛!!

間食の鯛焼き

一里塚

良いことが書いてありますね。
53次も一歩々々があってこその長旅ですからね。

興津宿に到着



東本陣跡

身延(甲州)道入り口


脇本陣水口屋敷
かつて武田信玄の家臣であった望月氏がこの屋敷に移り住み、商人として甲斐国へ送るための塩や魚を買い付けた。
明治以降は旅館として機能し、数々の名だたる著名人が訪れたと言われる。(政治の裏舞台としても活躍していたとか…)


西本陣跡
清見寺を散策



世に名も高き興津鯛 鐘の音ひゞく清見寺 清水につゞく江尻より ゆけば程なき久能山 (鉄道唱歌第一集)

大体1/3くらいを通過したところかな

十七、興津宿
東に薩埵峠を控え、甲州街道に通じる宿場である。身延参詣が盛んになると賑わいも増し、西にある清見寺の門前町も栄えた。
馬や籠に乗っているのは力士でしょうか?立派ですね。
籠も四人で抱えています。(笑)
籠に乗っている力士は尻に水が浸らないか気にしているのでしょうか?
全く、広重の絵は飽きませんな。
当時の力士は二種類居まして、大名抱えの力士とそうでないと力士です。
前者は幕府から実力を認められ、誉高い武士として扱われており、一方で後者は浪人としての扱いだったそうです。
PM2:30

江尻宿に入った。
うーん、ちょっと残念。

本陣など宿があったこの辺りは、鍛冶屋が多く住んでおり、江尻城の御用鍛冶をしていたそうなので、鍛冶町と名付けられた。

木戸跡

ここ清水は少年サッカー発祥の地みたいですね。

間食にオレオ。
石川さんから頂きました。
PM3:30
再スタート

かわいい…

河童にもち◯ち◯ついてるんだね。

巴川を超えるとそこは入江!
ズバリ!ちびまる子ちゃんのふるさとでしょう!!(◎▽◎)m9

追分ようかん屋さんでひと休憩。

ここ最近、朝晩以外は甘い和菓子という江戸時代の旅人みたいな食生活に自然と近づいている気がします。

お土産に一本購入

十八、江尻宿
古くから川湊として栄えてきた江尻宿は、巴川河口の清水湊が水運で活気付いていた。ここを縄張りにしていたのが、かの有名な清水次郎長である。
浮世絵中段には三保の松原、駿河湾と富士山が見えます。しかし、静岡の景色を知る者には違和感があります。
そう、伊豆半島がごっそり削られています。
広重は水平線の広がりを見せる為に敢えて伊豆を取っ払ったのでしょうかね?
PM4:00
再スタート

あーあ、やっちまっただよ〜
電柱にかすって小傷付けちまっただ〜

一里塚

果たしてこの中のものを欲しいと思う人は何人居るだろうか…

行きつけの美容院。
静岡にもあったんだー。

でかでかと大鳥居がありますが、神社まで1.2キロあります。

グランシップ

静岡市内でよく見かける看板。
儲かってるんだろうな〜と思いつつも、先生割とハンサムだな〜とも

一里塚

何があったんだろう その②

道が広い
知らない間に葵区に入っていた。


静岡市葵区のマンホール
PM6:30

府中宿に突入!

伝馬通りを突き進む!




通りすがりの同志のおっちゃんから二千円も貰った。
今のところ四日市宿まで歩いたらしい。
ありがとうございます。本当にありがとうございます!



人が多い。
でかいバックパックに上下ジャージ、菅笠だと、キャッチのお兄さんと目が合っても声を掛けられない。
もし、キャッチが鬱陶しいなと思うそこのあなた!!
この格好おすすめやで〜
街中でこの格好は流石にちょっと…って方は菅笠だけでも被ってみんさい。それだけでも全然違うと思いますよ。タブン
PM7:00

部活終わりのJKからも、頑張って下さーい の黄色い声援を頂き、今日のゴール静岡駅に到着。

妹宅に到着

十九、府中宿
古くから駿河の政治・経済・文化の中心地で駿府城の城下町として栄えた東海道の要所。江戸時代は徒歩で安倍川を渡ったと言われる
決算報告(2019/07/19)
食費:¥1,404
交通費:¥290
お土産:¥950
計:¥2,644


#0 荷造り編はコチラ
#6 吉原宿-由比宿編はコチラ
#8 府中宿-藤枝宿編はコチラ
ノリの良さそうな若者が話しかけてきたら、こんな感じの江戸神田口調で応答してみたいと密かに企んでいます、mizukiです。
AM10:00

昨日、ログハウスに泊めて頂いた石川さんと記念撮影し、見送って頂きました。

朝ごはんも頂きました。ご馳走さまです。そして、ありがとうございました!

由比を後にし、興津を目指し、薩埵峠を登る。





一里塚




何があったんだろう その①
登ること30分、ようやく頂上へ到達

感動の様子をビデオでお届け、、
ここで一句
絶景や
富士は見えねど
夏麗
頂上で石川さんから頂いた甘夏ジュースキュっと飲み干し、峠を下る。

AM11:30

興津の川を渡る際、おじいちゃんチャリダーからエールを頂きました。

興津といえば興津鯛!!

間食の鯛焼き

一里塚

良いことが書いてありますね。
53次も一歩々々があってこその長旅ですからね。

興津宿に到着



東本陣跡

身延(甲州)道入り口


脇本陣水口屋敷
かつて武田信玄の家臣であった望月氏がこの屋敷に移り住み、商人として甲斐国へ送るための塩や魚を買い付けた。
明治以降は旅館として機能し、数々の名だたる著名人が訪れたと言われる。(政治の裏舞台としても活躍していたとか…)


西本陣跡
清見寺を散策



世に名も高き興津鯛 鐘の音ひゞく清見寺 清水につゞく江尻より ゆけば程なき久能山 (鉄道唱歌第一集)

大体1/3くらいを通過したところかな

十七、興津宿
東に薩埵峠を控え、甲州街道に通じる宿場である。身延参詣が盛んになると賑わいも増し、西にある清見寺の門前町も栄えた。
馬や籠に乗っているのは力士でしょうか?立派ですね。
籠も四人で抱えています。(笑)
籠に乗っている力士は尻に水が浸らないか気にしているのでしょうか?
全く、広重の絵は飽きませんな。
当時の力士は二種類居まして、大名抱えの力士とそうでないと力士です。
前者は幕府から実力を認められ、誉高い武士として扱われており、一方で後者は浪人としての扱いだったそうです。
PM2:30

江尻宿に入った。
うーん、ちょっと残念。

本陣など宿があったこの辺りは、鍛冶屋が多く住んでおり、江尻城の御用鍛冶をしていたそうなので、鍛冶町と名付けられた。

木戸跡

ここ清水は少年サッカー発祥の地みたいですね。

間食にオレオ。
石川さんから頂きました。
PM3:30
再スタート

かわいい…

河童にもち◯ち◯ついてるんだね。

巴川を超えるとそこは入江!
ズバリ!ちびまる子ちゃんのふるさとでしょう!!(◎▽◎)m9

追分ようかん屋さんでひと休憩。

ここ最近、朝晩以外は甘い和菓子という江戸時代の旅人みたいな食生活に自然と近づいている気がします。

お土産に一本購入

十八、江尻宿
古くから川湊として栄えてきた江尻宿は、巴川河口の清水湊が水運で活気付いていた。ここを縄張りにしていたのが、かの有名な清水次郎長である。
浮世絵中段には三保の松原、駿河湾と富士山が見えます。しかし、静岡の景色を知る者には違和感があります。
そう、伊豆半島がごっそり削られています。
広重は水平線の広がりを見せる為に敢えて伊豆を取っ払ったのでしょうかね?
PM4:00
再スタート

あーあ、やっちまっただよ〜
電柱にかすって小傷付けちまっただ〜

一里塚

果たしてこの中のものを欲しいと思う人は何人居るだろうか…

行きつけの美容院。
静岡にもあったんだー。

でかでかと大鳥居がありますが、神社まで1.2キロあります。

グランシップ

静岡市内でよく見かける看板。
儲かってるんだろうな〜と思いつつも、先生割とハンサムだな〜とも

一里塚

何があったんだろう その②

道が広い
知らない間に葵区に入っていた。


静岡市葵区のマンホール
PM6:30

府中宿に突入!

伝馬通りを突き進む!




通りすがりの同志のおっちゃんから二千円も貰った。
今のところ四日市宿まで歩いたらしい。
ありがとうございます。本当にありがとうございます!



人が多い。
でかいバックパックに上下ジャージ、菅笠だと、キャッチのお兄さんと目が合っても声を掛けられない。
もし、キャッチが鬱陶しいなと思うそこのあなた!!
この格好おすすめやで〜
街中でこの格好は流石にちょっと…って方は菅笠だけでも被ってみんさい。それだけでも全然違うと思いますよ。タブン
PM7:00

部活終わりのJKからも、頑張って下さーい の黄色い声援を頂き、今日のゴール静岡駅に到着。

妹宅に到着

十九、府中宿
古くから駿河の政治・経済・文化の中心地で駿府城の城下町として栄えた東海道の要所。江戸時代は徒歩で安倍川を渡ったと言われる
決算報告(2019/07/19)
食費:¥1,404
交通費:¥290
お土産:¥950
計:¥2,644


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