2019年07月20日23:02
#8 府中宿-藤枝宿 おだっだっだっだおだっくい 〜令和版東海道中膝栗毛〜≫
カテゴリー
どうも、ブログの閲覧数が少しずつ増えてきておだっくいになりつつありますmizukiです。(おだっくい言いたかっただけ)

(若干ポーズ間違えたか…
おだっくい(静岡の方言)
意味):お調子者、おだてに乗る人
ちなみにタイトルの元ネタはコチラ
AM11:00

静岡駅前の家康公銅像にて今日の旅の安全を祈願し、出発。

県庁と駿府城公園を横目に旧道を目指す。

文明開化の象徴とも言えようガス燈。静岡市内には明治43年に導入されたそうな。

むむむ、ここで安倍川餅ですか。
さっき朝飯食べたばかりなんだなコレが…
またの機会!
AM12:00

安倍川超え

看板に浜松が見えてきた!
残り20里弱。

丸子(鞠子)宿に突入!

一里塚跡
"一"だけなぜ漢字なのか気になって朝が起きれない。

さあ、ここから見付に入ります。





また、一般の家屋にもかつての職らしき看板が




町ぐるみで丸子宿の雰囲気を保持しようとしている努力を感じますね。
そしてこの旅の目的の一つである丁子屋へと足を運ぶ。

丁子屋
江戸時代から受け継がれてきた「とろろ汁」や地元静岡の素材を活かした料理の味を、歴史ある古民家の広々とした座敷席で堪能できる和食店。

外には十返舎一九の東海道中膝栗毛の碑が
PM1:00

いただきまーす!
いつもは席に着くと何も考えずビールを頼みますが、そば屋とか日本食屋になるとツウぶって酒を頼む。
しかし、連日の疲れもあってか、回るのが早いこと早いこと

とろろを揚げたやつ
竹炭塩で食べたけど無茶苦茶美味しかった

デザートはメロンと大福
冷たくてクリーミーだった

いつも、朝晩以外はおにぎりや和菓子で我慢していた自分へのご褒美。これくらいは出してもいい。

ここのトイレは旅館の風呂みたいに男女が入れ替わるらしい

いえいえ、これはどうも
資料館もあるので中を見学

東海道中膝栗毛の生みの親こと十返舎一九先生
静岡出身みたい
丁子屋14代目の柴山さんと東海道談義で盛り上がる。

道中安全のお札も頂いた。
※今回は浮世絵に関する説明が長めです

二十、丸子宿
とろろ汁を扱う店が十数軒あったと言われ、この宿場の名物として評判であった。江戸時代から続くとろろ汁の「丁子屋」は今なお伝統を受け継いでいる。

おや、ここに居ますは、かの弥次さん喜多さんではありませんか!
喜多八「なあ弥次さん、これゃ中々いけますなぁ」
弥次郎兵衛「おう喜多八、もういっぺぇいくか」
なんて会話が繰り広げられていたのかと妄想が広がりますね。
ちなみに料理を出しているこの方と背中の赤子

柴山さんの7代前と6代前の先代だそうです。
---<ここからは柴山さんの推察です>---

浮世絵中央の梅の木。
これは俳聖松尾芭蕉が詠んだ梅だそうです。
梅若葉 丸子の宿の とろろ汁
そして、店を後にするこのおっちゃん。

どうやら、とろろの原料である自然薯の農家の方ではないかと予想されてます。
自然薯を朝から昼にかけて収穫し、届けに来たのが夕方(浮世絵上段の空模様)、
自然薯を包む藁を担ぎ、
煙草を一服(浮世絵中央下段の腰掛けに灰皿)、
自然薯の代金を腰巾着に受け取り家路につく。
そんな細かな描写を読み取られております。
また、広重の作品で弥次さん喜多さんの登場は後にも先にも丸子宿のみだそうです。
東海道中膝栗毛の作中で両名は、店の夫婦喧嘩によりとろろ汁を食べ損ね、空腹で宇津ノ谷へと向かいます。
これは、とろろ汁を愛して止まない一九のメッセージかもしれません。
「あんなに旅を楽しんでいる二人ですら食べなかった"とろろ汁"一体どんな味なのか気になるだろう」と。
この事情を知っている広重は敢えて両名にとろろ汁を食べさせてあげてます。しかも、登場は丸子宿これっきり。
この描写は、当時の浮世絵界隈では相当インパクトが強かったのではないかと思われます。
以上、長くなりましたが、丸子宿の浮世絵に関する考察でした。
柴山さん、丁子屋さんの江戸時代から続く素晴らしい伝統を是非とも後世に残すよう頑張って下さいね!d( ̄  ̄)
PM3:00

とろろでご飯4杯おかわりしてお腹ぱんぱんの私、今から宇津ノ谷峠へと足を進めます。
宇津ノ谷トンネルに入る私。
トンネル内は狭く暗いため、車が近く感じ、精神がすり減ります。
そのため、大声を張り上げて歌って誤魔化します。
駿州一の大都会 静岡出でて安倍川を 渡ればここぞ宇津ノ谷の 山切り抜きし 洞の道 (鉄道唱歌第一集)
録音は…一応しましたが、恥ずかしいので載せません。

トンネル内で藤枝市に入りました。

道の駅宇津ノ谷峠にて
道中安全を再度祈願。
PM4:30

岡部宿に入りました。

旅籠屋跡の柏屋は閉館時間ギリギリだったので残念ながら見学出来ませんでした。
まあ、丁子屋でお釣りが出るほど良い料理、体験、お話が聞けたので良しとしましょう。



定休日だが中々いなせな酒屋さん

何となく宿場の雰囲気、面影は残っているのかな。

岡部宿を後にする。

旧道を歩く。

一里塚

ごもっとも

治安が悪いのかな?

そうだね

なんか10m先にもあるんですけど

またお前か

もうええて
なんやねん、俺までウ◯コしたなったわ!

いやいやPTAさん、何がどう危ないのか端的に説明しないと子供達も納得しないでしょ
そんな突っ込みどころ満載な

藤枝市のマンホール

二十一、岡部宿
東海道の難所の一つといわれる宇津ノ谷峠を控える宿場。「伊勢物語」をはじめ、多くの文学、絵画、工芸品の題材となった。
浮世絵の両端に見えますは宇津ノ谷峠ですね。
余談ですが、先ほど紹介した鉄道唱歌の歌詞では静岡過ぎ、安倍川を渡って宇津ノ谷に差し掛かる勢いですが、
実際の東海道本線は宇津ノ谷を避けて焼津方面に向かっています。
PM6:30

藤枝市下伝馬商店街を突っ切ります。

サッカーにそこまで興味は無いが気になる。

汽笛一声新橋を 〜 のパロディですな


シャッターの絵がいちいち魅力的なんだよな

藤枝宿に突入



立て札でもなければ石碑でもない、ユニークな街・藤枝

上伝馬問屋場跡
旅人や荷物を次の宿場まで運ぶ継ぎ立て通信業務のため人馬や飛脚を宿に揃える事を伝馬制といい、その業務を執行う場所を問屋場という。

瀬戸川に架かる勝草橋


橋を渡ってすぐの一里塚
今日はここでセーブします。
PM7:00


今日は瀬戸川で夜を明かします。
そういえば、今まで中を見せて無かったですね。

こんな感じです。
足は目一杯伸ばせます。

二十二、藤枝宿
田中城の城下町であった藤枝宿は、西側に瀬戸川が流れ、いくつかの街道が分岐する交通の要所であった。近くに国史跡の御子ヶ谷遺跡がある。
決算報告(2019/07/20)
飲食費:¥3,830
交通費:¥290
計:¥4,120


#0 荷造り編はコチラ
#7 由比宿-府中宿編はコチラ
#9 藤枝宿-掛川宿編はコチラ

(若干ポーズ間違えたか…
おだっくい(静岡の方言)
意味):お調子者、おだてに乗る人
ちなみにタイトルの元ネタはコチラ
AM11:00

静岡駅前の家康公銅像にて今日の旅の安全を祈願し、出発。

県庁と駿府城公園を横目に旧道を目指す。

文明開化の象徴とも言えようガス燈。静岡市内には明治43年に導入されたそうな。

むむむ、ここで安倍川餅ですか。
さっき朝飯食べたばかりなんだなコレが…
またの機会!
AM12:00

安倍川超え

看板に浜松が見えてきた!
残り20里弱。

丸子(鞠子)宿に突入!

一里塚跡
"一"だけなぜ漢字なのか気になって朝が起きれない。

さあ、ここから見付に入ります。






また、一般の家屋にもかつての職らしき看板が




町ぐるみで丸子宿の雰囲気を保持しようとしている努力を感じますね。
そしてこの旅の目的の一つである丁子屋へと足を運ぶ。

丁子屋
江戸時代から受け継がれてきた「とろろ汁」や地元静岡の素材を活かした料理の味を、歴史ある古民家の広々とした座敷席で堪能できる和食店。

外には十返舎一九の東海道中膝栗毛の碑が
PM1:00

いただきまーす!
いつもは席に着くと何も考えずビールを頼みますが、そば屋とか日本食屋になるとツウぶって酒を頼む。
しかし、連日の疲れもあってか、回るのが早いこと早いこと

とろろを揚げたやつ
竹炭塩で食べたけど無茶苦茶美味しかった

デザートはメロンと大福
冷たくてクリーミーだった

いつも、朝晩以外はおにぎりや和菓子で我慢していた自分へのご褒美。これくらいは出してもいい。

ここのトイレは旅館の風呂みたいに男女が入れ替わるらしい

いえいえ、これはどうも
資料館もあるので中を見学

東海道中膝栗毛の生みの親こと十返舎一九先生
静岡出身みたい
丁子屋14代目の柴山さんと東海道談義で盛り上がる。

道中安全のお札も頂いた。
※今回は浮世絵に関する説明が長めです

二十、丸子宿
とろろ汁を扱う店が十数軒あったと言われ、この宿場の名物として評判であった。江戸時代から続くとろろ汁の「丁子屋」は今なお伝統を受け継いでいる。

おや、ここに居ますは、かの弥次さん喜多さんではありませんか!
喜多八「なあ弥次さん、これゃ中々いけますなぁ」
弥次郎兵衛「おう喜多八、もういっぺぇいくか」
なんて会話が繰り広げられていたのかと妄想が広がりますね。
ちなみに料理を出しているこの方と背中の赤子

柴山さんの7代前と6代前の先代だそうです。
---<ここからは柴山さんの推察です>---

浮世絵中央の梅の木。
これは俳聖松尾芭蕉が詠んだ梅だそうです。
梅若葉 丸子の宿の とろろ汁
そして、店を後にするこのおっちゃん。

どうやら、とろろの原料である自然薯の農家の方ではないかと予想されてます。
自然薯を朝から昼にかけて収穫し、届けに来たのが夕方(浮世絵上段の空模様)、
自然薯を包む藁を担ぎ、
煙草を一服(浮世絵中央下段の腰掛けに灰皿)、
自然薯の代金を腰巾着に受け取り家路につく。
そんな細かな描写を読み取られております。
また、広重の作品で弥次さん喜多さんの登場は後にも先にも丸子宿のみだそうです。
東海道中膝栗毛の作中で両名は、店の夫婦喧嘩によりとろろ汁を食べ損ね、空腹で宇津ノ谷へと向かいます。
これは、とろろ汁を愛して止まない一九のメッセージかもしれません。
「あんなに旅を楽しんでいる二人ですら食べなかった"とろろ汁"一体どんな味なのか気になるだろう」と。
この事情を知っている広重は敢えて両名にとろろ汁を食べさせてあげてます。しかも、登場は丸子宿これっきり。
この描写は、当時の浮世絵界隈では相当インパクトが強かったのではないかと思われます。
以上、長くなりましたが、丸子宿の浮世絵に関する考察でした。
柴山さん、丁子屋さんの江戸時代から続く素晴らしい伝統を是非とも後世に残すよう頑張って下さいね!d( ̄  ̄)
PM3:00

とろろでご飯4杯おかわりしてお腹ぱんぱんの私、今から宇津ノ谷峠へと足を進めます。
宇津ノ谷トンネルに入る私。
トンネル内は狭く暗いため、車が近く感じ、精神がすり減ります。
そのため、大声を張り上げて歌って誤魔化します。
駿州一の大都会 静岡出でて安倍川を 渡ればここぞ宇津ノ谷の 山切り抜きし 洞の道 (鉄道唱歌第一集)
録音は…一応しましたが、恥ずかしいので載せません。

トンネル内で藤枝市に入りました。

道の駅宇津ノ谷峠にて
道中安全を再度祈願。
PM4:30

岡部宿に入りました。

旅籠屋跡の柏屋は閉館時間ギリギリだったので残念ながら見学出来ませんでした。
まあ、丁子屋でお釣りが出るほど良い料理、体験、お話が聞けたので良しとしましょう。



定休日だが中々いなせな酒屋さん

何となく宿場の雰囲気、面影は残っているのかな。

岡部宿を後にする。

旧道を歩く。

一里塚

ごもっとも

治安が悪いのかな?

そうだね

なんか10m先にもあるんですけど

またお前か

もうええて
なんやねん、俺までウ◯コしたなったわ!

いやいやPTAさん、何がどう危ないのか端的に説明しないと子供達も納得しないでしょ
そんな突っ込みどころ満載な

藤枝市のマンホール

二十一、岡部宿
東海道の難所の一つといわれる宇津ノ谷峠を控える宿場。「伊勢物語」をはじめ、多くの文学、絵画、工芸品の題材となった。
浮世絵の両端に見えますは宇津ノ谷峠ですね。
余談ですが、先ほど紹介した鉄道唱歌の歌詞では静岡過ぎ、安倍川を渡って宇津ノ谷に差し掛かる勢いですが、
実際の東海道本線は宇津ノ谷を避けて焼津方面に向かっています。
PM6:30

藤枝市下伝馬商店街を突っ切ります。

サッカーにそこまで興味は無いが気になる。

汽笛一声新橋を 〜 のパロディですな


シャッターの絵がいちいち魅力的なんだよな

藤枝宿に突入



立て札でもなければ石碑でもない、ユニークな街・藤枝

上伝馬問屋場跡
旅人や荷物を次の宿場まで運ぶ継ぎ立て通信業務のため人馬や飛脚を宿に揃える事を伝馬制といい、その業務を執行う場所を問屋場という。

瀬戸川に架かる勝草橋


橋を渡ってすぐの一里塚
今日はここでセーブします。
PM7:00


今日は瀬戸川で夜を明かします。
そういえば、今まで中を見せて無かったですね。

こんな感じです。
足は目一杯伸ばせます。

二十二、藤枝宿
田中城の城下町であった藤枝宿は、西側に瀬戸川が流れ、いくつかの街道が分岐する交通の要所であった。近くに国史跡の御子ヶ谷遺跡がある。
決算報告(2019/07/20)
飲食費:¥3,830
交通費:¥290
計:¥4,120


#0 荷造り編はコチラ
#7 由比宿-府中宿編はコチラ
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