2019年07月22日09:34
#9 藤枝宿-掛川宿 緑一色、役満!〜令和版東海道道中膝栗毛〜≫
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趣味柄、通る車のナンバープレートをついつい見てしまいます。
いく先々での土地のナンバーの移り変わりを楽しんでいるmizukiです。

遠州の茶畑
AM5:30
眠りが浅いまま、早く目が覚めたので藤枝市瀬戸川より出発。

朝マック
店員さんにエールを貰い、店を後に


旧道を歩く

一里塚
AM7:30

島田市に入る

知らん間に200キロオーバー(あくまで国道1号線

やぎ しか
AM8:30

島田宿に到着



一里塚



島田市のマンホール

大井川川越遺跡にて
当時のまま残っているそうで、江戸時代にタイムスリップした気分になりました。

中はこんな感じ
川越人足のおっちゃんがいますね
休憩がてらにふらっと寄った芭蕉庵。
居合わせたお客さんや店のおじいちゃんと東海道談義で盛り上がる。

手拭いとコーヒーとゆで卵をご馳走になり、この先の金谷宿についての情報も頂いた。

ここのゆで卵、全然剥けないで有名らしい

道理で、、
どうやら新鮮な卵を使っているためだそう

大井川橋を渡り、島田宿を後にします。

二十三、島田宿
大井川の洪水に悩まされつつ、交通の要所として栄えた宿場。大井川は架橋・渡船が禁止されていたため、安倍川同様に徒歩で渡っていた。
箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川
とあるように、当時は度重なる増水の影響で多くの旅人が足止めを食らっていた難所とも知られています。
また
春さく花の藤枝を 過ぎて島田の大井川 昔は人を肩に乗せ 渡りし話も夢のあと (鉄道唱歌第一集)
とあります様に、当時は川越人足と呼ばれる人や荷物を運ぶ屈強な男達が居ました。
1826年に大井川の川越しを経験したドイツ人医師シーボルトは急流を軽々と越す川越人足をその手記の中に「半人半魚の男たち」と評したそうな。
AM11:00

橋を渡り、旧道を通り、金谷宿を目指します。





本陣跡

一里塚

ここから小夜の中山峠石畳を歩きます。



石畳茶屋でランチ。
これから峠越えというのにちょっとヘルシー過ぎやしませんか?


すべらず地蔵
道中安全とどこかの教授の分も 祈願をしました。

石畳を歩く
雨が降っていない分、箱根の時に比べて石畳道中を楽しむ余裕がありました。

諏訪原城跡



峠の急な坂を越えたどり着いたその先は、、

あたり一面緑色、オールグリーン!!
まさに、48000点の景色ですね (笑)

二十四、金谷宿
西は小夜の中山、東は大井川に囲まれた交通の難所。大井川を渡るための宿場として栄える一方、旅客や荷物の増加と水害に悩まされていた。
PM2:00

掛川に入りました。

一里塚

角度がエグすぎひん?
この急な坂は広重の浮世絵にも描写があります。

掛川市日坂のマンホール
いやいや、あんな殺人的な坂をこんなにニコやかには登れんだろ。

本陣跡


宿場の雰囲気が残っていますね。

旅籠屋跡

中に入れてもらいました!

道中膝栗毛の作者・十返舎一九直筆の掛け軸

高札場

下木戸跡

神社を参拝

道の駅で休憩。

出来るだけ安く高カロリーをモットーに

二十五、日坂宿
幕府直轄の代官所支配のため、交通・宿泊機能で栄えた宿場。有名な伝説の「夜泣き石」があり、茶屋では「子育て飴」が売られていた。
PM6:00
再スタート



一里塚たち

掛川市街本通り


城下町

本陣跡
今はいい感じの飲み屋街になっていますね。

掛川市のマンホール

掛川城

今日のゴールです。
疲れもありましたが、掛川周辺にいい風呂屋が無く、流石に二日風呂抜きはきちゃないのでネカフェ。

掛川城の城下町。火難よけの信仰・遠州秋葉山への参詣ルートもあり、青崩峠を越えて太平洋岸から信州へ塩や魚を運ぶ「塩の道」でもあった。
決算報告
飲食費:¥2,307
お賽銭:¥20
計:¥2,327

今回はApple Watchが途中で力尽きたため記録が分断しています。


#0 荷造り編はコチラ
#8 府中宿-藤枝宿編はコチラ
#10 掛川宿-浜松宿編はコチラ
いく先々での土地のナンバーの移り変わりを楽しんでいるmizukiです。

遠州の茶畑
AM5:30
眠りが浅いまま、早く目が覚めたので藤枝市瀬戸川より出発。

朝マック
店員さんにエールを貰い、店を後に


旧道を歩く

一里塚
AM7:30

島田市に入る

知らん間に200キロオーバー(あくまで国道1号線

やぎ しか
AM8:30

島田宿に到着



一里塚



島田市のマンホール

大井川川越遺跡にて
当時のまま残っているそうで、江戸時代にタイムスリップした気分になりました。

中はこんな感じ
川越人足のおっちゃんがいますね
休憩がてらにふらっと寄った芭蕉庵。
居合わせたお客さんや店のおじいちゃんと東海道談義で盛り上がる。

手拭いとコーヒーとゆで卵をご馳走になり、この先の金谷宿についての情報も頂いた。

ここのゆで卵、全然剥けないで有名らしい

道理で、、
どうやら新鮮な卵を使っているためだそう

大井川橋を渡り、島田宿を後にします。

二十三、島田宿
大井川の洪水に悩まされつつ、交通の要所として栄えた宿場。大井川は架橋・渡船が禁止されていたため、安倍川同様に徒歩で渡っていた。
箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川
とあるように、当時は度重なる増水の影響で多くの旅人が足止めを食らっていた難所とも知られています。
また
春さく花の藤枝を 過ぎて島田の大井川 昔は人を肩に乗せ 渡りし話も夢のあと (鉄道唱歌第一集)
とあります様に、当時は川越人足と呼ばれる人や荷物を運ぶ屈強な男達が居ました。
1826年に大井川の川越しを経験したドイツ人医師シーボルトは急流を軽々と越す川越人足をその手記の中に「半人半魚の男たち」と評したそうな。
AM11:00

橋を渡り、旧道を通り、金谷宿を目指します。





本陣跡

一里塚

ここから小夜の中山峠石畳を歩きます。



石畳茶屋でランチ。
これから峠越えというのにちょっとヘルシー過ぎやしませんか?


すべらず地蔵
道中安全

石畳を歩く
雨が降っていない分、箱根の時に比べて石畳道中を楽しむ余裕がありました。

諏訪原城跡



峠の急な坂を越えたどり着いたその先は、、

あたり一面緑色、オールグリーン!!
まさに、48000点の景色ですね (笑)

二十四、金谷宿
西は小夜の中山、東は大井川に囲まれた交通の難所。大井川を渡るための宿場として栄える一方、旅客や荷物の増加と水害に悩まされていた。
PM2:00

掛川に入りました。

一里塚

角度がエグすぎひん?
この急な坂は広重の浮世絵にも描写があります。

掛川市日坂のマンホール
いやいや、あんな殺人的な坂をこんなにニコやかには登れんだろ。

本陣跡


宿場の雰囲気が残っていますね。

旅籠屋跡

中に入れてもらいました!

道中膝栗毛の作者・十返舎一九直筆の掛け軸

高札場

下木戸跡

神社を参拝

道の駅で休憩。

出来るだけ安く高カロリーをモットーに

二十五、日坂宿
幕府直轄の代官所支配のため、交通・宿泊機能で栄えた宿場。有名な伝説の「夜泣き石」があり、茶屋では「子育て飴」が売られていた。
PM6:00
再スタート



一里塚たち

掛川市街本通り


城下町

本陣跡
今はいい感じの飲み屋街になっていますね。

掛川市のマンホール

掛川城

今日のゴールです。
疲れもありましたが、掛川周辺にいい風呂屋が無く、流石に二日風呂抜きはきちゃないのでネカフェ。

掛川城の城下町。火難よけの信仰・遠州秋葉山への参詣ルートもあり、青崩峠を越えて太平洋岸から信州へ塩や魚を運ぶ「塩の道」でもあった。
決算報告
飲食費:¥2,307
お賽銭:¥20
計:¥2,327


今回はApple Watchが途中で力尽きたため記録が分断しています。


#0 荷造り編はコチラ
#8 府中宿-藤枝宿編はコチラ
#10 掛川宿-浜松宿編はコチラ