2019年07月23日14:48
#10 掛川宿-浜松宿 お茶にメロン、花火にど真ん中の街・ふくろい 〜令和版東海道中膝栗毛〜≫
カテゴリー
国道1号線もしくは旧東海道を歩く変な格好をした人が居たら多分私です。
どうもこんにちは

雨の中撮った浜松市内のとある大学
(…ここの大学はいつもいつもどこかしら工事してらっしゃいますね)
AM5:00

空が明るくなり始めたのでスタート。

旧道を歩きます。

樹は歴史をずっと見てきていると考えると感慨深いものがありますね。
AM6:00

袋井市に入る。

どこか他人とは思えないこの方、自転車で日本一周しているそうです。



やたらど真ん中を強調していますが、そうなんです。
実はここ袋井宿は東海道53次の内の27番目。つまりど真ん中にあたります。



宿場跡も散策


ど真ん中茶屋
由比の広重美術館、丸子の丁子屋と並ぶ私の三大ここだけは押さえておきたい東海道スポットだったのですが、月曜日は定休日だったそうなので残念ながら中に入る事はできませんでした。
AM10:30
旧道を歩いていると何やら気になるものが、、


メロンのワインですって⁈
言わずと知れたここ袋井はクラウンメロンで有名です。
中に入ると気さくな方がお出迎え。
東海道踏破に挑戦している事を伝えると色々ともてなして下さりました。
記念にお写真も撮って頂きました!


アイスと真中も頂きました。
ありがとうございます!
ど真ん中茶屋には行けませんでしたが、素敵な方と出会えたので大変満足しました。

一里塚

二十七、袋井宿
袋井宿は規模が小さい上に、前後に掛川、見付、浜松宿などの大きい宿場があったため休憩中心の利用が多かった宿場である。
まさに、そんな感じが伝わってくる絵ですね。
左には煙草で一服している人、その横では何やら湯を沸かす人たちも。
また、のどかな田んぼ道の中というのも、のんびりとしていて非常に袋井らしいですね。
AM11:30

磐田市に入る




磐田市のマンホールとすき家(お昼)

標識に名古屋の文字が
AM12:30

見付宿に到着


阿多古山神社に登り、道中の安全を祈願
それと一里塚も

見付宿は京から出発した旅人が初めて富士山を"見付け"たことからその名が付けられたそうです。

商店街を突き進む

見付の宿場町にある予備校。
中々洒落たデザインですね。
そして頑張れジュビロ!


宿場跡

ここで一服
おばあちゃん達の憩い中にお邪魔してご一緒に

茶屋かと思い、甘いものの口になっていたが、お惣菜メインのお店だったので、疲労回復に効果的な酢の物をチョイス。ちなみに全品100円。

餞別に手拭いを頂きました!
超嬉しい!!
ご馳走さまでした。
酢の物の疲労回復効果もあってか、足取りが軽くなりました。

西木戸(宿の西端)を横目に見付宿を後にする。

なぜ方言の後にハートを付けたのか小一時間くらい問い詰めたい所です。

かなた遠方に浜松を代表する巨大ビルが微かに見えます。

二十八、見付(見附)宿
古くから遠江の中心地として栄えていた。天竜川の渡船場があった池田は時代で位置が異なり、「あっぱれ天竜」の名の通り、河道が変化していた。
PM3:00

天竜川にて

広い橋を渡りきるとそこは、、
来ました、我らが浜松!!

旧道を歩きます


流石、我らが浜松。
旅人への粋な計らいを忘れない。

しかし、今日は開館日時の運には恵まれませんな。。

市街まで後一里弱
茶色い巨塔が近づいている
PM5:00

中区に入りました。長かった!

一里塚

歩く

アクトを横目に

歩く

歩く

浜松宿に到着!



本陣跡

高札場跡


浜松城
浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、1570年に入城し、17年間在城した。
城主は家康の後、代々譜代の大名が勤め、在城中に老中にまで栄進した人が多い(まさに出世の城ですね)。
石垣は野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残している。
PM7:30
浜松という事もあり、一通り知り合いを訪ねた後、
以前、ヒッチハイクで知り合った佐藤さん夫婦と合流。


五臓六腑に染み渡るとはよく言ったものです。
歩いた後のビールが最高に美味いこと美味いこと。
ご馳走さまでした、美味しかったです。
特に、味付けの異なる2種類の唐揚げはビールとの相性抜群でした!

二十九、浜松(濱松)宿
城下町であった浜松は、宿場が設置されると幕府の宿場機能を果たす役割を持つようになり、交通量も増えて様々な発展が見られた。
地平線の遠くに見えるのは浜松城とその城下町ですね。
暖をとる人達の焚き火により、絵全体が二分されるのも当時では斬新な表現だったそうな。
決算報告
飲食費:¥1,088
ネカフェ:¥1,800
交通費:¥120
計:¥3,008


#0 荷造り編はコチラ
#9 藤枝宿-掛川宿編はコチラ
#11 浜松宿-新居宿編はコチラ
どうもこんにちは

雨の中撮った浜松市内のとある大学
(…ここの大学はいつもいつもどこかしら工事してらっしゃいますね)
AM5:00

空が明るくなり始めたのでスタート。

旧道を歩きます。

樹は歴史をずっと見てきていると考えると感慨深いものがありますね。
AM6:00

袋井市に入る。

どこか他人とは思えないこの方、自転車で日本一周しているそうです。



やたらど真ん中を強調していますが、そうなんです。
実はここ袋井宿は東海道53次の内の27番目。つまりど真ん中にあたります。



宿場跡も散策


ど真ん中茶屋
由比の広重美術館、丸子の丁子屋と並ぶ私の三大ここだけは押さえておきたい東海道スポットだったのですが、月曜日は定休日だったそうなので残念ながら中に入る事はできませんでした。
AM10:30
旧道を歩いていると何やら気になるものが、、


メロンのワインですって⁈
言わずと知れたここ袋井はクラウンメロンで有名です。
中に入ると気さくな方がお出迎え。
東海道踏破に挑戦している事を伝えると色々ともてなして下さりました。
記念にお写真も撮って頂きました!


アイスと真中も頂きました。
ありがとうございます!
ど真ん中茶屋には行けませんでしたが、素敵な方と出会えたので大変満足しました。

一里塚

二十七、袋井宿
袋井宿は規模が小さい上に、前後に掛川、見付、浜松宿などの大きい宿場があったため休憩中心の利用が多かった宿場である。
まさに、そんな感じが伝わってくる絵ですね。
左には煙草で一服している人、その横では何やら湯を沸かす人たちも。
また、のどかな田んぼ道の中というのも、のんびりとしていて非常に袋井らしいですね。
AM11:30

磐田市に入る




磐田市のマンホールとすき家(お昼)

標識に名古屋の文字が
AM12:30

見付宿に到着


阿多古山神社に登り、道中の安全を祈願
それと一里塚も

見付宿は京から出発した旅人が初めて富士山を"見付け"たことからその名が付けられたそうです。

商店街を突き進む

見付の宿場町にある予備校。
中々洒落たデザインですね。
そして頑張れジュビロ!


宿場跡

ここで一服
おばあちゃん達の憩い中にお邪魔してご一緒に

茶屋かと思い、甘いものの口になっていたが、お惣菜メインのお店だったので、疲労回復に効果的な酢の物をチョイス。ちなみに全品100円。

餞別に手拭いを頂きました!
超嬉しい!!
ご馳走さまでした。
酢の物の疲労回復効果もあってか、足取りが軽くなりました。

西木戸(宿の西端)を横目に見付宿を後にする。

なぜ方言の後にハートを付けたのか小一時間くらい問い詰めたい所です。

かなた遠方に浜松を代表する巨大ビルが微かに見えます。

二十八、見付(見附)宿
古くから遠江の中心地として栄えていた。天竜川の渡船場があった池田は時代で位置が異なり、「あっぱれ天竜」の名の通り、河道が変化していた。
PM3:00


天竜川にて

広い橋を渡りきるとそこは、、
来ました、我らが浜松!!

旧道を歩きます


流石、我らが浜松。
旅人への粋な計らいを忘れない。

しかし、今日は開館日時の運には恵まれませんな。。

市街まで後一里弱
茶色い巨塔が近づいている
PM5:00

中区に入りました。長かった!

一里塚

歩く

アクトを横目に

歩く

歩く

浜松宿に到着!



本陣跡

高札場跡


浜松城
浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、1570年に入城し、17年間在城した。
城主は家康の後、代々譜代の大名が勤め、在城中に老中にまで栄進した人が多い(まさに出世の城ですね)。
石垣は野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残している。
PM7:30
浜松という事もあり、一通り知り合いを訪ねた後、
以前、ヒッチハイクで知り合った佐藤さん夫婦と合流。


五臓六腑に染み渡るとはよく言ったものです。
歩いた後のビールが最高に美味いこと美味いこと。
ご馳走さまでした、美味しかったです。
特に、味付けの異なる2種類の唐揚げはビールとの相性抜群でした!

二十九、浜松(濱松)宿
城下町であった浜松は、宿場が設置されると幕府の宿場機能を果たす役割を持つようになり、交通量も増えて様々な発展が見られた。
地平線の遠くに見えるのは浜松城とその城下町ですね。
暖をとる人達の焚き火により、絵全体が二分されるのも当時では斬新な表現だったそうな。
決算報告
飲食費:¥1,088
ネカフェ:¥1,800
交通費:¥120
計:¥3,008


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