其ノ参 番場宿〜垂井宿 『西美濃を歩いて感じた江戸時代の風俗習慣』〜中山道行脚旅

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其ノ参 番場宿〜垂井宿 『西美濃を歩いて感じた江戸時代の風俗習慣』〜中山道行脚旅

シガーキスというものを皆さんはご存知でしょうか?


このワードが生まれた元ネタは『BLACK LAGOON』というアニメのワンシーンから来ています。

私はこのアニメを見たことが無いのですが、ネット界隈でネタとしてこのシーンをしばしば見ることがあるため、私も何となく知っているのですが、結構ネット民のほとんどが斬新な煙草の吸い方だと思っていることでしょう。多分。

どことなくアダルティな雰囲気が感じられますね。





2019/11/18

6:00
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米原駅からのスタート


程なくして山道に差し掛かる
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7:00
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番場宿に到着!

ほとんど宿場の面影は無かったですね。



そしてココでおじさんからの差し入れ♪
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一番下の娘さんが私と同い年だとか

生地がムチムチというかモチモチで、中には餡子が入っていました。
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あまりにも美味しく、一気に食べてしまっては勿体ないと思い、みかんとまんじゅうを一つずつセーブしておきました。
おじさんありがとう!




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六拾弐次. 番場宿
慶長八年(1603)番場宿本陣を勤める北村源十郎は彦根藩の命により琵琶湖に米原みなとを築き、次いで同十六年(1611)湊と中山道を結ぶ米原道を開削した。これにより番場宿は大いに賑わった。


広重は番場として東見附から見た宿内を描いている。宿長は一町十間(約127m)と中山道宿場中最短であった。





7:30
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醒井宿に差し掛かります。

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早過ぎて開いていない…
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六拾壱. 醒井宿
醒井宿は名水の里として名を馳せ、清水が豊富で旅人の良き休憩地として賑わい、名水を使ったところてんや素麺が名物であった。


広重は醒井宿の西口に建てられた六軒茶屋を醒井として描いている。草餅が名物であった。





見頃になるまではもう一週間くらいかかるかな
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ちなみにこの日はお昼過ぎから雨模様。

こんなにも天気良いので、降らない前提でこの日は岐阜市を目指すペースと気持ちで歩いています。


9:30
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柏原宿に到着!


月曜日は定休日か〜仕方ない
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酒屋に
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文屋
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この"亀屋さん"は広重の浮世絵にも描かれているそうです。


伊吹山が少し雲を被っていますね
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六拾次. 柏原宿
柏原宿は古くから東山道の宿駅として発展し、建久元年(1190)源頼朝が初上洛の際宿陣した。江戸時代は伊吹山から産出されるよもぎを原料にしたもぐさが中山道有数の宿場名物であった。


広重は柏原として「伊吹もぐさ」を商う伊吹堂亀屋左京店を描いている。店の右手には大きな「福助人形」がある。福助は働き者の番頭だった。





10:00
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祝・美濃国入り!


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流石は関ヶ原町、天下分け目の古戦場なだけありますね!


今須宿
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中山道69宿場のうち岐阜県には17宿場も設けられているそうです。


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お、シャッターに広重さんの浮世絵だ!










どれどれ〜









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マジか〜




おっさん同士でシガーキッス❤︎





キセルの火がたまたま無かったのでしょうかね?
それとも…⁈


色んな妄想がかき立てられますね(笑)


よく浮世絵は当時の世俗的な風習を映し出すと言われますが、当時からBLがこんなあからさまに描かれるものなのでしょうか?


なにぶん不勉強なものでその辺の事情はよく分かりません。思い過ごしかもしれないですね( ̄▽ ̄;)




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伍拾九次. 今須宿
今須宿は妙応寺の門前町として発展し、琵琶湖から美濃への物資流通で賑わい、問屋場は七軒あった。


広重は今須としてこの国境を取り上げ、近江側の茶屋近江屋と、美濃側の茶屋両国屋の間に江濃両国境と記された傍示杭を描いている。





11:00

さて、気を取り直して山道をずいずい進みましょう。
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いろいろ旧跡がありますが、見て周る時間は無いです。
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不破関資料館は目の前にあるのでそこだけ寄ることに
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うーんこの…
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資料館開館運の無さは東海道旅の時から引き継いでいるようですね。


お腹が空いたのでセーブしておいたお菓子を食べましょうか
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中山道に戻りテクテク歩いていると、美味しそうなのが目に止まったので買いました!
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たった20mだし折角なのでここにも寄りました。
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しかし天気よ



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さっきまで晴れてたのに見事に崩れてきましたね。


国道から臨む中山道旧道
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面白そうな店発見!
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伍拾八. 関ヶ原宿
関ヶ原は伊吹山地と鈴鹿山系が迫る狭隘の地(現在でも東海道線、国道、名神高速が集中)で軍事上の要衝だった。関ヶ原宿は勢州路(伊勢街道)や北国脇往還(北国街道)の追分を控え、問屋場は八現在置かれ、美濃十六宿中加納に次ぐ規模を誇った。


広重はのんびりとした西町の茶屋風景を関ヶ原として描いている。茶屋の藁屋根の軒には名ぶつさとうもちと書かれた提灯が吊り下がり、そばきり、うどんの看板を掲げ、商物の傘、扇、草鞋を描いている。





13:00
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垂井町に突入!


雨が降ってきた…


一里塚
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鯉のぼりが有名なのかな?
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宿場に差し掛かります
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ほらね、期待を裏切らない
そして強まる雨足
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ちくせう!


雨宿りがてら今日の作戦を練っていると、おじさんが傘をくれました。
お客さんの忘れ物だそう、ありがとうございます!
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追分
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普通なら迷いなく左を選ぶのだが、この雨なので右に進み、、


15:30

毎度お馴染み快活クラブへ
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シャワーが無かったのが大きな誤算だ…




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伍拾七. 垂井宿
垂井宿は東海道宮宿に通じる脇往還美濃路との追分をひかえ、西美濃の交通の要衝として栄え、中山道で唯一大八車の使用が許された。毎年五と九の付く日に南宮神社鳥居付近で六斎市が立ち、大いに賑わった。


広重は垂井として西見附を描いている。石垣の上に土塁を築いた見附を両側に、中央には参勤交代の先頭、そして出迎える宿役人を写実的に描写している。





本日の

歩行距離:30.03km (晴れてたら40kmくらい行ってたかも
累計:105.28km

歩数:50,613歩
累計:168,781歩

出費:後日記載

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其ノ壱. 三条大橋-守山宿編はコチラ
其ノ弐. 守山宿-番場宿編はコチラ
其ノ参. 番場宿-垂井宿編はコチラ
其ノ四. 垂井宿-鵜沼宿編はコチラ
其ノ伍. 鵜沼宿-御嶽宿編はコチラ
其ノ六. 御嶽宿-大井宿編はコチラ
其ノ七. 大井宿-三留野宿編はコチラ
其ノ八. 三留野宿-藪原宿編はコチラ
其ノ九. 藪原宿-下諏訪宿編はコチラ
其ノ拾. 下諏訪宿-芦田宿編はコチラ
其ノ拾壱. 芦田宿-沓掛宿編はコチラ
其ノ拾弐. 沓掛宿-松井田宿編はコチラ
其ノ拾参. 松井田宿-深谷宿編はコチラ
其ノ拾四. 深谷宿-大宮宿編はコチラ
其ノ拾伍. 大宮宿-日本橋編はコチラ


奥州道中編はコチラ
東海道編はコチラ


駆け出しバックパッカー編はコチラ



 
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