2019年11月21日21:59
其ノ四 垂井宿〜鵜沼宿 「美濃路にて ふたたび対峙 揖斐長良」〜中山道行脚旅〜≫
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旅をはじめて4日にしてiPhoneが使いものにならなくなりました。(前回から学ばない)
2019/11/19
7:00

予定より30分ほど寝坊してスタート。
すぐに大垣市に入ります。
昨日中山道から外れたので復帰のために最短ルートを取ります。

古墳が見えたので少し立ち寄る。

朝日がいい感じに挿しており、厨二心がくすぐられます。

とうとうこの不毛な荒野と化したこのオオガキの地にもサンクチュアリへのいざないの光が見えたか。
とかね。
あ〜痒い痒い痒い!!
アホは放っておいて、赤坂宿を歩きます。


朝が早いせいで開いてませんでした。


伍拾六. 赤坂宿
赤坂宿は杭瀬川の舟運や谷汲街道、伊勢に通じる養老街道をひかえ、大いに賑わった。
広重は赤坂として杭瀬川に架かる土橋そして渡り詰に傍示杭「従是大垣藩赤坂宿」その先に赤坂の宿並を描いている。
9:00
瑞穂市に入ります。

中山道中かわいい地名〜その①〜瑞穂市
揖斐川


そういえば、東海道の時は桑名の河口で花火を見たね
岐阜県の中山道宿場がかかれた石柱の間を通ります。

歩いててぱっと見、魚の骨に見えてしまうことがしばしば。

10:00

ここいらでひと休み。
アニメの聖地巡礼みたいなことをしてみる。

三江寺宿本陣


伍拾伍. 三江寺宿
三江寺宿は小宿であった。しかも大雨の度に長良川の逆水に見舞われ、宿場前後の街道は浸水し、宿としての条件は劣悪で評判が悪く、幕末期にはガラの悪い宿場として恐れられていた。
広重は三江寺として犀川を描いている。画面右手に満開の椿、左手に川の氾濫から守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた集落を描いている。
11:00

標識はないが、この小さな橋を越えると岐阜市です。
本来なら昨日はあそこに泊まりたかったのです。。アメノセイデ…

河渡宿

殆ど何も残っていませんね。。
長良川の渡場があったところです。

この辺から橋を渡りきった所の信号辺りまで渡しが往来していたようです。

ちなみに武士ほどの階級の人はタダで渡られたそうです。
現在人は文明の力でこんな大河も歩いて渡ることが出来るのです!


岐阜の街が遠方に見えます。


伍拾四. 河渡宿
河渡宿は長良川西岸の船着場で、米、塩、木材の物資集積地として栄えたが、川止め以外では通過の旅人が多く、ひなびた宿であったともいう。
英泉は河渡として長良川の鵜飼を描いた。鵜飼は尾張藩の庇護のもとに五月から十月まで、雨天を除き、月のない暗闇の夜に行われ、漁獲された鮎の大半は尾張藩に上納され、鮎鮨にして将軍家や諸大名に献上された。芭蕉はこの長良川の鵜飼を見て「おもしろうて やがてかなしき 鵜飼かな」と詠んでいる。
12:30

岐阜の市街地に着きます。
この辺は道が入り組んでいたので苦労しました。
iPhoneがウスノロなめくじなので本の地図を見ながら進みました。
(あれ〜なんか、紙の方が見やすいゾー?)
加納宿

建物は殆ど今風ですが、道幅は旧街道のまま(多分)ってところも、かつて宿場があった街の名残りなのかな。

岐阜の鵜飼は有名ですね、確か。


あ〜あ〜ゴミ捨て場になっちゃってるよ…
本陣

なんと岐阜県の宿場すべてのスタンプが調印出来るそうだ!

かなり押し逃したな、、


思わず二度見

伍拾参. 加納宿
加納宿の宿長は二十一町半(約2.4km)と長く、美濃十六宿中最大の宿場で長良川の湊町そして城下町として栄え、熱田への御鮨街道追分を控え、大いに賑わっていた。
広重は領下、上川手辺りから見えた加納城を画面右奥に、参勤交代の行列を手前に、そして松並木と宿口の茶屋を中間に描いている。
13:00

知らん間に各務原市に入っていた。



二時間くらいこんな景色が続きます。
小さな湖を挟み

さらに一時間半こんな景色が続きます。

こういう時は周りに聞こえない程度の声量で歌を歌いながら歩きます。
16:30
三時間半変わりばえのない景色の中ひたすら歩き、漸く鵜沼宿に到達!

どうやら加納宿〜鵜沼宿間は18kmくらい離れているそうだ。ナガカッタデス
〜美濃(みの)の由来〜
江戸時代の頃も加納-鵜沼宿間は辺り一面野原が広がっていたそうです。
各務野、大野(揖斐川上流)、青野(大垣市)の三野を「みの」といい、これが美濃となったそうです。
両方とも閉館ギリギリで間に合った!(17時閉館)


ギリギリの入館にも関わらず、スタッフのおじいちゃんはフレンドリーに接してくれた。
マクドで夕飯と記事作成!

ちなみにマクドWi-Fiは結構規制が厳しいみたいで、はまぞうブログがブロックされていたので誤算でした。
この店だけかな?
ちなみに鵜沼から愛知県犬山市は目と鼻の先ですが、中山道は際をかすめていきます。


伍拾弐. 鵜沼宿
鵜沼宿は慶安四年(1651)うとう峠が開削され、新設された宿場。古代から東山道の駅が置かれ、交通経済の要衝であったが、明治二十四年(1891)の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けてしまった。
英泉は鵜沼として木曽川を挟み画面手前に尾張犬山城を、対岸には各務野の広がりを描いている。
本日の
歩行距離:43.50km
累計:148.80km
歩数:60,993歩
累計:229,774
出費:後日


其ノ壱. 三条大橋-守山宿編はコチラ
其ノ弐. 守山宿-番場宿編はコチラ
其ノ参. 番場宿-垂井宿編はコチラ
其ノ四. 垂井宿-鵜沼宿編はコチラ
其ノ伍. 鵜沼宿-御嶽宿編はコチラ
其ノ六. 御嶽宿-大井宿編はコチラ
其ノ七. 大井宿-三留野宿編はコチラ
其ノ八. 三留野宿-藪原宿編はコチラ
其ノ九. 藪原宿-下諏訪宿編はコチラ
其ノ拾. 下諏訪宿-芦田宿編はコチラ
其ノ拾壱. 芦田宿-沓掛宿編はコチラ
其ノ拾弐. 沓掛宿-松井田宿編はコチラ
其ノ拾参. 松井田宿-深谷宿編はコチラ
其ノ拾四. 深谷宿-大宮宿編はコチラ
其ノ拾伍. 大宮宿-日本橋編はコチラ
奥州道中編はコチラ
東海道編はコチラ
駆け出しバックパッカー編はコチラ
2019/11/19
7:00

予定より30分ほど寝坊してスタート。
すぐに大垣市に入ります。
昨日中山道から外れたので復帰のために最短ルートを取ります。

古墳が見えたので少し立ち寄る。

朝日がいい感じに挿しており、厨二心がくすぐられます。

とうとうこの不毛な荒野と化したこのオオガキの地にもサンクチュアリへのいざないの光が見えたか。
とかね。
あ〜痒い痒い痒い!!
アホは放っておいて、赤坂宿を歩きます。


朝が早いせいで開いてませんでした。


伍拾六. 赤坂宿
赤坂宿は杭瀬川の舟運や谷汲街道、伊勢に通じる養老街道をひかえ、大いに賑わった。
広重は赤坂として杭瀬川に架かる土橋そして渡り詰に傍示杭「従是大垣藩赤坂宿」その先に赤坂の宿並を描いている。
9:00
瑞穂市に入ります。

中山道中かわいい地名〜その①〜瑞穂市
揖斐川


そういえば、東海道の時は桑名の河口で花火を見たね
岐阜県の中山道宿場がかかれた石柱の間を通ります。

歩いててぱっと見、魚の骨に見えてしまうことがしばしば。

10:00

ここいらでひと休み。
アニメの聖地巡礼みたいなことをしてみる。

三江寺宿本陣


伍拾伍. 三江寺宿
三江寺宿は小宿であった。しかも大雨の度に長良川の逆水に見舞われ、宿場前後の街道は浸水し、宿としての条件は劣悪で評判が悪く、幕末期にはガラの悪い宿場として恐れられていた。
広重は三江寺として犀川を描いている。画面右手に満開の椿、左手に川の氾濫から守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた集落を描いている。
11:00

標識はないが、この小さな橋を越えると岐阜市です。
本来なら昨日はあそこに泊まりたかったのです。。アメノセイデ…

河渡宿

殆ど何も残っていませんね。。
長良川の渡場があったところです。

この辺から橋を渡りきった所の信号辺りまで渡しが往来していたようです。

ちなみに武士ほどの階級の人はタダで渡られたそうです。
現在人は文明の力でこんな大河も歩いて渡ることが出来るのです!


岐阜の街が遠方に見えます。


伍拾四. 河渡宿
河渡宿は長良川西岸の船着場で、米、塩、木材の物資集積地として栄えたが、川止め以外では通過の旅人が多く、ひなびた宿であったともいう。
英泉は河渡として長良川の鵜飼を描いた。鵜飼は尾張藩の庇護のもとに五月から十月まで、雨天を除き、月のない暗闇の夜に行われ、漁獲された鮎の大半は尾張藩に上納され、鮎鮨にして将軍家や諸大名に献上された。芭蕉はこの長良川の鵜飼を見て「おもしろうて やがてかなしき 鵜飼かな」と詠んでいる。
12:30

岐阜の市街地に着きます。
この辺は道が入り組んでいたので苦労しました。
iPhoneがウスノロなめくじなので本の地図を見ながら進みました。
(あれ〜なんか、紙の方が見やすいゾー?)
加納宿

建物は殆ど今風ですが、道幅は旧街道のまま(多分)ってところも、かつて宿場があった街の名残りなのかな。

岐阜の鵜飼は有名ですね、確か。


あ〜あ〜ゴミ捨て場になっちゃってるよ…
本陣

なんと岐阜県の宿場すべてのスタンプが調印出来るそうだ!

かなり押し逃したな、、


思わず二度見

伍拾参. 加納宿
加納宿の宿長は二十一町半(約2.4km)と長く、美濃十六宿中最大の宿場で長良川の湊町そして城下町として栄え、熱田への御鮨街道追分を控え、大いに賑わっていた。
広重は領下、上川手辺りから見えた加納城を画面右奥に、参勤交代の行列を手前に、そして松並木と宿口の茶屋を中間に描いている。
13:00

知らん間に各務原市に入っていた。



二時間くらいこんな景色が続きます。
小さな湖を挟み

さらに一時間半こんな景色が続きます。

こういう時は周りに聞こえない程度の声量で歌を歌いながら歩きます。
16:30
三時間半変わりばえのない景色の中ひたすら歩き、漸く鵜沼宿に到達!

どうやら加納宿〜鵜沼宿間は18kmくらい離れているそうだ。ナガカッタデス
〜美濃(みの)の由来〜
江戸時代の頃も加納-鵜沼宿間は辺り一面野原が広がっていたそうです。
各務野、大野(揖斐川上流)、青野(大垣市)の三野を「みの」といい、これが美濃となったそうです。
両方とも閉館ギリギリで間に合った!(17時閉館)


ギリギリの入館にも関わらず、スタッフのおじいちゃんはフレンドリーに接してくれた。
マクドで夕飯と記事作成!

ちなみにマクドWi-Fiは結構規制が厳しいみたいで、はまぞうブログがブロックされていたので誤算でした。
この店だけかな?
ちなみに鵜沼から愛知県犬山市は目と鼻の先ですが、中山道は際をかすめていきます。


伍拾弐. 鵜沼宿
鵜沼宿は慶安四年(1651)うとう峠が開削され、新設された宿場。古代から東山道の駅が置かれ、交通経済の要衝であったが、明治二十四年(1891)の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けてしまった。
英泉は鵜沼として木曽川を挟み画面手前に尾張犬山城を、対岸には各務野の広がりを描いている。
本日の
歩行距離:43.50km
累計:148.80km
歩数:60,993歩
累計:229,774
出費:後日


其ノ壱. 三条大橋-守山宿編はコチラ
其ノ弐. 守山宿-番場宿編はコチラ
其ノ参. 番場宿-垂井宿編はコチラ
其ノ四. 垂井宿-鵜沼宿編はコチラ
其ノ伍. 鵜沼宿-御嶽宿編はコチラ
其ノ六. 御嶽宿-大井宿編はコチラ
其ノ七. 大井宿-三留野宿編はコチラ
其ノ八. 三留野宿-藪原宿編はコチラ
其ノ九. 藪原宿-下諏訪宿編はコチラ
其ノ拾. 下諏訪宿-芦田宿編はコチラ
其ノ拾壱. 芦田宿-沓掛宿編はコチラ
其ノ拾弐. 沓掛宿-松井田宿編はコチラ
其ノ拾参. 松井田宿-深谷宿編はコチラ
其ノ拾四. 深谷宿-大宮宿編はコチラ
其ノ拾伍. 大宮宿-日本橋編はコチラ
奥州道中編はコチラ
東海道編はコチラ
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